「おい、しん公、なべを八百屋で買ってこい!」
「しん公、なべを持ってこい!」
親方に言いつけられて、「はい」と威勢よく返事をしたものの、さて、どんな料理に使うのか、見当がつかない。小僧も小僧、かけ出しの頃の話です。 スープかな、鶏肉でもいためるんだろうか、それともソースを作るんだろうか、何人前ぐらいだろう……。とっさのことだから、全然わからない。考えぬいたあげく、適当ななべを見つくろって持っていきました。
「これでいいですか?」
「バカ野郎、だれがこんなもの持ってこいと言った!八百屋へ行って買ってこい」
いくらなんでも、八百屋になべを、それも銅製のなんぞ売ってるわけがない。おかしいとは思ったけど、言いつけだから、
「あの、八百屋に売ってるんですか?」
「手前、わからないのか、なべだよ」
こっちは進退きわまって、モジモジしてたら二番手の兄弟子が小さい声で、
「しん公、八百屋に行って、蕪を買ってくればいいんだよ」
地獄に仏とはこのこととばかり、大急ぎで買ってきて、まな板の上に置いたら、親方は、「はじめっからそいつをもってくればいいものを……。手数をかける野郎だ」
 またしかられちゃいました。
 なべが蕪とは何とも合点がいかない。親方のいないとき、そっと兄弟子にたずねると、
「それはな、しん公。蕪のことをフランス語でNavet(ナベ)というんだよ」
あたしたちが奉公している時分は、こうして料理に使うフランス語を一つ一つ体で覚えていったもんでした。"見習い"ってのは、文字どおり、親方と兄弟子の仕事を見て、習い覚えなくちゃならないんです。
そういえば、見習いのことをよくペテ公なんて呼んでました。これもきっとフランス語のプチ(petit)からきたもんじゃないかと思います。
 終戦後、新川の焼け跡に建てたバラックの店の入り口にかけたのれんは、向井潤吉画伯によりちょうだいしたもので、鶏、牛、豚、魚の中央に、蕪の絵が描いてありました。人間、なんでもいいから、カブにならなくちゃいけないと、そのころのあたしは、つくづく思ったもんです。